ありがとう〈伊達主従〉












あなたがいてくれて、僕の心は救われた。

暗い暗く沈んだ闇の中。
藻掻き苦しんでいる僕を、あなたが助けてくれた。
あなたという優しい存在に触れた僕は、幸福という名の水を得た魚のようになれた。

ありがとう。
ありがとう、と。

何度も、何度でも。
言い切れない程の感謝を、僕の心をあなたに届けたい、伝えたい。

ありがとう。

あなたが傍にいてくれて、本当に良かった。
僕の幸福は、あなたと共に何処までも果てしなく続けばいいと願い続ける。





*****



我が主に刃を向けてしまった、と。

日々、その事を心に深く刻み自責の念に駆られる男がいた。
そして、大切な主にその様な事してしまったのは、致し方ない事だった。
そうでもしなければ、主の魂が救えなかったのだから。
しかし、真面目な男はと言うと。
致し方ない事にしても傷を付けてしまったと、それすらも『許せない』と心の奥底、漆黒の闇に意識を落とし『後悔』の名を背負い己を苦しめていた。

男が刃を向けた主は、未だ目覚めず・・・・男と同じ様に漆黒の闇の中で意識を彷徨わせていた。






「片倉様っ!! 」

騒々しい足音と共に男の名を告げる者が現れた。

「どうした? ・・・・判った」

片倉と呼ばれた男は、息切らせて来た家臣より主の状態を聞かされると、平静を装いつつある場所へと向かう。
平静を装う事など家臣の前だけだった。
片倉は足早に廊下を渡り、主の寝所へと向かう。
心を落ち着けようと必死で胸元の着物を握り締め、その手は震えじわりと汗をかく程の緊張を纏っていた。
それもその筈。
我が主と片倉が添う奥州王の若子、梵天丸が目覚めたとの知らせだった。
そして、片倉が刃を向けた主。
病の為とは言え、致し方無しと言え、生死に関わると言えども刃を向けた片倉は、無事に目覚めた梵天丸に喜びの表情を浮かべることなく寝所に辿り着けば、襖の外より声を掛けた。
中にいた医師から入る事を許された片倉は、一呼吸吐き、そして襖に手を掛ける。
あの日から一度も幼い梵天丸の顔を見ていない、いや、見れないでいた。
己の手で右目に刃を突き立てたのだ、梵天丸の命と引き替えに右目を奪ってしまったのだ。
致し方無し、致し方無しと。
口々に言い家臣が慰めるものの、主からの言葉を貰う事が出来ず貰わぬまま過ごしていた片倉は、自念に潰されてしまう程の滅入りようだった。



「失礼致します」

すっ、と流れるような手付きで片倉は襖を開け中にはいる。
何とか平静を装い頭を下げ礼をすると、ばたばた、と足音が耳に届けられた。

「梵天丸様、いけませぬ!! 」

医師の慌てふためく声に片倉も顔を上げれば、

「こじゅうろうっ!! 」

どすん、と音がする程の勢いで片倉の身体に体当たりする幼い梵天丸の身体があった。
慌てて両腕を広げ梵天丸の身体を抱き留めた片倉は、諸共にひっくり返ってしまう。

「梵天丸様、安静にされなければ・・・・」

「こじゅうろう、ありがとう!! 」

「・・・・はい?! 」

「ぼんを、たすけてくれだのだろう? 」

勢いが余りありすぎたか、強か畳に頭を打ち付けた片倉は、梵天丸の言葉の意が変わらずに間の抜けた返事をしてしまう。
胸元にしっかとしがみつき甘えた様に頬を寄せている梵天丸は、久方ぶりに片倉の顔を見れたのが嬉しいのか、小さな身体いっぱいで『嬉しい』と表している。

「しかし、私はあなた様に・・・・」

「なんでもいいっ、ぼんは・・・・またこじゅうろうといっしょにいられるのがうれしいのだ!! 」

このように幼くても身に起きた事は理解されているのかと、梵天丸の利発さに驚き惚けている片倉の顔を残された左目だけで一生懸命に見つめ微笑んでいる。

「こじゅうろうはどうだ? 」

幼い主は、片倉に問う。
これからも一緒に居てくれるのか、と。
右目の包帯を見ているのが辛いと目を背けようとした片倉だったが、それ以上に梵天丸の愛らしい笑顔に惹き付けられる。
そして、目頭が熱くなる感覚を覚え、知れずと涙を零していた。
もう見られてしまっているだろうが、両腕で片倉は顔を覆い隠しながら梵天丸の問い掛けに答えた。

「私も嬉しいです・・・・この小十郎、梵天丸様の右目となり何時何時までも共に参ります」

「うんっ!! 」

元気の良い梵天丸の返事に片倉の涙は留まる事を知らず、何時までも何時までも零れ落ちるのであった。









ありがとう/20080117